VO2.生きる力は人とのつながり/罹患時42歳

当サイトのトップ画像を飾ってくださった、乳がんアピアランスケアパッケージのユーザーである高橋裕恵さんの体験談が、フリーペーパーPINKのオンライン版で読むことができます。大変に優秀な高橋さんらしい、自分の治療への理解力と医師や周囲とのコミュニケーション力が読んでとれ驚くと共に、高橋さんらしい他者(同病の仲間)への思いやりによる、自分の体験をひとつの情報として届けるというスタンスをしっかりと体現した、詳細で正確な記述が、素晴らしい寄稿文です。是非読んでくださいませ。*画像をクリックしていただくと掲載元のページが開きます。

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高橋裕恵さん
1961生まれ 津田塾大学卒 住友銀行(株)外国為替担当
乳がん手術前は自宅にて中高生の英語指導、企業にてTOEIC研修講師
2004年から様々なかたちでピアサポーターとして活動

VO1.信頼という人生の彩り/罹患時48歳

乳がんは人生のエピソードのひとつ。それぞれの彩りでわたしたちは生きています。まずは開発者西沢のSTORYをお届けします


華やかな場所から逃れるように、人生の中心だった仕事を手放し乳がん治療へ


BRALABOの乳がんアピアランスケアパッケージの相談会にて、70代のマダムがおっしゃいました。「25年間乳がんさえなければと思ってきました。今でもこの体のことで泣いてしまうこともあります」来月のウィーン旅行のことをハツラツとお話しくださった最後に、涙声で吐露された、本当のお心の内です。マダムはこれを言いたくて、わたしのところに来られたのかもしれないと思いました。そう思うのはわたしの心の内も同じだからです。

20代はファッション雑誌の編集スタイリスト、30代は美容広報誌の編集ディレクター。そして、40代はハンティングで入社した上場企業の課長として下着カタログの編集やタレントさんとのコラボ商品の企画を担当し、めまぐるしく仕事に邁進してきました。

若い頃は目の前の仕事に精一杯で検診に行くという意識はなく、48歳の時に会社の勧めで初めて受けました。乳がん検診が精密検査の必要なD判定に。当時は名古屋の下着小売店と委託契約を結んでいて名古屋に在住しながら、東京への本社移動のために奔走している最中でした。

出張の合間に時間をつくり精密検査を受けましたが、相変わらず頭の中は仕事のことで一杯。D判定を突き付けられても、恥ずかしながら「とにかくこの仕事を終えなければ何もできない」というのが本音でした。 精密検査の結果、左乳房にがんが確定。0か100しか考えられないわたしは、悔しいけれど担当していた仕事はすべて手放しました。

なるべく体へのダメージが少ない術式を希望し、内視鏡で手術をする医師を徹底的に調べ、すべての内視鏡の医師のもとに診察に行って主治医を選びました。

しかし、心が折れすぎてしまい、持っていた生活環境も自分には相応しくないものになったように思え、実家のある新潟に帰郷。新潟と東京を行き来しながら治療を行いました。

心は光を避けてモノクロの世界に閉じこもっていったのでした。


わたしの場合一番の苦痛は、バストを奪われること。今でも乳がんが憎い


乳がんと診断されて止むに止まれず手術をしましたが、その選択はベストだったのか?と、今になって思います。なぜ手術をしないという選択肢を選ぶことがなかったのか。わたしの中では当時も今も、がん=死、死=怖いという図式はなく、何より堪えがたいのは体の一部が奪われることです。女性だけに授けられた乳房を奪う、乳がんという病気には怒りを感じています。

手術は避けられないし、命が一番とわかっているけれど、あのとき手術をしなければ、あと数年間はそのままの体で生きられたはず。もしかして共存しながら生きられていたかも、そんなことを思ってしまいます。

大病をすると多くの場合、命と外観の変化を天秤にかけて二者選択を迫られます。わたしの場合当時は、命は守るべきものという固定観念に縛られていましたが、今は自分の価値観に沿って考えてみたいと思っています。

手術を拒んでもその先には外観的に酷い結末もありえることと知っていますし、また友人たちの治療を受け入れる姿、生き抜く姿には、心から「その方なりのいい選択。正しい選択である」と思い、命が守られたことには涙して良かったと思うのですが、自分のことに関しては複雑な思いに駆られます。

命と向き合い治療している方もたくさんおられ、このような考えは今普通に生活できているから言えることだと思うので、公で言うのは相応しくないとも考えますが、この感性のこの価値観のわたしだから、乳房切除をした女性ひとりひとりのことに胸を締め付けられて、製品やサービスが開発されているのだと思うのでお伝えさせてください。


装うことで奮い立ったその先にあった、癒しと安心と自信を届けること


手術は温存手術の予定でしたが、断端陽性がわかり、再度全摘手術を余儀なくされ、左右対称のバストラインを失いました。言葉では言えない失意の中、自分で下着を工夫し、装うことで奮い立たち強くなって行っていることを感じました。

そこから兼ねてより起業を考えていたことを思い出し、休職していた下着の会社に戻ることを辞めて、装うことで女性が癒されたり安心したり自信を持ったりする、そんなブラジャーを開発する会社を起業しようと考えました。

まずは多くの女性が望むエイジングケアとわたしのような乳がん手術をした女性が望むバストラインの補正ケアが出来るブラジャーを、思う通りの一点の妥協もないクオリティで完成させました。そして2013年9月にオリジナル下着ブランド「BRALABO」を立ち上げ、「西沢式フィティングブラジャー」の販売を始めました。

サロンで販売をするうち下着のプロで乳がん体験者である私を頼って、手術や再建手術による左右非対称のバストラインに悩む方たちがサロンを訪れるようになりました。 最初は苦しみの声を受け止めるピアサポート役をしていました。

でも心が晴れるのは一時的であり解決には至らず、悩める心はずっと続く。また千差万別のお身体は、わたし自身が実施していたブラジャーだけでの補正方法では、望みが叶えられない方がたくさんいました。その現実がわたしにはすごく堪え難く、自分にはもっとできることがあり、それがやるべきことであると思うようになりました。

わたしは合理主義で結果主義なんですね。 わたしがやるべき真心の具現化とは、「ファッションと下着の専門知識や技術を駆使して役に立つこと」「私の物づくりで確実に願いを叶える。悩みを解決すること」だと思いました。そうして、乳がん体験者向けにブラジャーとセットでお使いいただくシリコンパッドを開発し、「乳がんアピアランスケアパッケージ」として提供することになりました。

これまでに「手術をしたから仕方がない」と、外観の変化を諦めている女性にたくさん出会ってきました。そんな方たちもきっと、以前は髪型が決まらないだけで気分が下がり、自分の外観に敏感であり深い愛着を持っていたはず。諦めという形で脳をごまかして心に折り合いをつけてほしくありません。そんな思いでシリコンパッドをつくっています。 でもわたしが一番望んでいるのは、この世から乳がんと乳がんで乳房を失うことがなくなり、このシリコンパッドが必要な女性がいなくなるということです。


きっと必死で探した希望だから。無理も妥協もせず一球入魂


下着プランナーとしてのわたしのアイデンティティは、『女性の尊厳と新しい価値をデザインする』こと。もちろん、商品もこの考えに沿って開発しています。フィッティングも 製作工程も一切妥協はしません。

お客様方はきっとある日、どこかに希望はないかと、必死でネットサーフィンをしたのだと思います。そしてインターネット画面の奥深くからBRALABOのサイトを見つける。「左右対称、オーダーメイド」の文字を捉えて、長らく我慢してきていたけど、本当は嫌で嫌でたまらなかった自分の本心を再確認する。自分の希望は本当に叶うのか?たくさんクリックをして、何度もカーソルを行き来させて、初めて見ることを、自分にあてはめながらひとつひとつ咀嚼し、すみからすみまで読んで、何回も何回も読んでから来てくださっているのだということが、わたしには手にとるようにわかります。わたしにもそういう時があったから。

そして、発明品とも言えるこのサイトで初めて見たもの、その上どこかの偉い方でもない一介のブラジャー屋のわたしが開発したものを信じて、わたしのところまで会いに来てださるわけです。さらには、初対面のわたしに、願いを叶えてくれるなら思い通りになるようにしてくれるならと期待を持って、大切なお身体を見せてくださり、手術の傷とともに心の内を教えてくださり頼ってくださるわけです。この信頼に応えるために無理もしませんし妥協もしません。

手術したことを忘れる美しいバストラインを手に入れて、以前のような安心、自己肯定感、自信を取り戻してもらいたい。乳がんアピアランスケアパッケージでお届けしたいのは、より良い、より豊かな人生です。そのためにはいつも一球入魂です。


下着と装いの専門知識から育った信頼関係がわたしの人生を彩る


わたしはキャンサーギフトという言葉が嫌いです。乳がんになって良かったなんて思いません。悪魔に魂を売ってもし罹患前に手術前に戻れるなら、そうしたいとさえ考えることもあります。 そして乳ガンというトピックスから「可哀想」「偉い」「凄い」と言われるのも嫌です。

乳ガンとはわたしの人生の中の大きなトピックスですが、わたしの人生はそれだけではありません。 専門学校の講師というわたし、エステサロンの下着顧問をしているわたしetc…すべてわたしです。わたしはファッションと下着の専門家として、様々な角度からものを生んだり発信したりしています。 でも、やはり、乳がん体験者の方へのシリコンバストをつくることには特別な想いがあります。それは自分だからできること。自分しかできないこと。という自負と、お客様の人生の一助になっているという有難さです。生まれてきて良かった。生きていて良かったと思います。

忘れられないのは、相談時からオーダー時も冷静で淡々とされていた、IT外資の広報として企業のフロントを走っている50代の方が、乳がんアピアランスケアパッケージが出来上がり着用されたお姿を鏡で見ながら、「胸がふたつ揃っただけで、これからまた違う風景を見て行けそうです。人生を取り戻します」と涙をこぼされたことです。

若いわたしの娘のような世代のお客様からは「ブラジャーの買い替えもあるし、シリコンバストのメンテナンスもお願いしたい。だから西沢さん長生きして後継者も育ててください」と仰せつかっています。 また展示会に参加すると言えば、お客様が「わたしがモデルになって紹介します!」使っている人からお話が聞きたいという方がいれば、「わたしがお会いしましょう」はたまた「西沢さん、わたしの写真をHPに載せて、下着姿のものもお預けするから、これから来る方たちに見せてあげて」と、応援してくださいます。

長年培ってきた下着とファッションの知識が、今こうして新たな場面で生かされキャリアの冥利に尽きるこの人生。乳ガンと手術で変わった身体に屈せず生き抜いて行く理由を、お客様にいただいていると感謝しています。 乳がんになったことはあくまでも嫌なことですが、その後のわたしの人生が可哀想か、、、、今豊かな経験や深い信頼関係を作れていることがその答えだと思っていただけたら嬉しいです。


乳がんアピアランスケアパッケージは、わたしの真心の具現化


バストラインを人は見ない、人には分からない。というのはわたしたちには通じないことなんだなと。25年間苦しんできたと70代のマダムのお心の内をお聞きして、わたしはあらためて自覚をしました。

価値観は人それぞれですが、わたしたちは人の目や評価ではなく、何かと比べるのでもなく、自分が嫌なのですよね。きちんと整えた自分でいたい。

その心のヒリヒリを落ち着かせ、今ある自分を肯定し大切にしていくために、現実的に物理的に左右対称のバストラインを取り戻したいわけです。

マダムは乳がん手術の後に、旅行中のフランスでの交通事故と大手術、ご主人とご自身のご両親4人の介護とお見送り、さらにはご主人の介護とお見送りをご経験。今は会社経営もされており、こんなに様々な苦労を経ながらも、それでもこの言葉をおっしゃいました。 それほど苦しい、逃れられない人もいるということです。逃れられない予後を送るということです。

マダムは相談会の後昨年夏(2018年)乳がんアピアランスケアパッケージで左右対称のバストラインを取り戻され、「もっと早く出会いたかった。これから80歳まで。100歳まで、人生を楽しみます」と胸を張って、見せてくださいました。

わたしも手術から9年目が来ようとしています。仕事を通してお聞きする「人生を楽しみます」のこの言葉は、わたしにとってかけがえのないものです。乳がんアピアランスパッケージの提供は、わたしができる真心の具現化の作業と思っているため(あらゆる方にあらゆるかたちで役立つ人間にはなれないけど、せめて一所懸命”ひとところに懸命”にできることという意味で)何にも動じることなく、屈することなく、自分の想いに沿って、この仕事を続け、人生をデザインしていきます。

 

西沢桂子
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